光州民主化運動について素人なりにまとめてみた
あんにょん~
みなさんこんにちは。
前回予告していた通り、今回は518について。
今日はそもそも518って何?ってなる方も
いてるかもしれないので...
ざっくりと概要?を書こうと思います。
参考にしたのは韓国語学習者なら
一度は聞いたことがあるだろう、
「韓国語学習ジャーナル hana vol.24」
「タクシー運転手~約束は海を越えて~」パンフレット
この二冊がわかりやすく簡潔にまとまっていたので
こちらを参考にしました。
<What's 518??>
私が518とずっと言っているのは
光州民主化運動の別称です。
1980年5月18日から27日までの10日間、
光州で市民たちが戒厳令撤廃、軍事政権の退陣などを
要求して始まった民主化運動。
「光州民衆抗争」や「518」と呼ばれたりもします。
タクシー運転手のパンフレットには
「光州事件」と記載されていました。
<民主化運動が光州ではじまったきっかけ>
光州民主化運動はいきなり
はじまったわけではありません。
1961年の軍事クーデターで実権を
握った朴正煕大統領は1963年に大統領に就任。
その後独裁体制を敷いていた。
1972年の「10月維新」によって独裁体制は
さらに強化された。
このような流れの中で民主化に対する要求が
どんどん高まり1979年には釜山で
大きなデモに発展。
このデモの対処をめぐる対立が1979年10月26日午前8時前に
朴正煕大統領が銃撃され死亡する事件につながった。
⇩
朴正煕大統領の銃撃事件がきっかけとなって
「ソウルの春」が訪れる。
⇅しかし
直後の12月12日にクーデターを
起こして軍を掌握した全斗煥ら新軍部が
政権を握ろうと動きはじめる。
→民主化を危険視する新軍部
軍事政権の再登場に抗議して高まっていく
学生・市民の民主化要求の声に対し、
翌年の5月17日には
非常戒厳令を全国に拡大。
野党指導者の金泳三や金大中、
旧軍部につながる金鍾泌などを軟禁、逮捕。
<金大中と朴正煕大統領の関係>
1971年の大統領選挙に立候補して
現職の朴正煕大統領と接戦。
筋金入りの反体制政治家だった。
一方で朴正煕大統領は慶尚道出身。
繰り広げていた。
また、朴正煕大統領は慶尚道では
企業誘致が活発に行われたが
金大中の地盤でもある
全羅道では経済開発が遅れていた。
このような社会背景や
金大中と朴正煕大統領の関係性もあり、
光州では朝鮮戦争以降、
最も激しく重要な出来事とされる光州民主化運動が
はじまっていきました。
今回はざっくりと
光州民主化運動についてまとめてみました。
次回からは私が実際に訪れた場所を
載せていく予定です^^
光州に来る前からどこに行くか
大体計画していたんですが、
518関連の場所がたくさんあって
何がどこでどんなものが見れるのか
ごちゃごちゃになってた時に
ものすごくわかりやすい、
丁寧に作られたサイトを見つけました。
これが私にはすごく役に立ちました。
すべて日本語です^^
ちなみに光州には金大中コンベンションセンターがあり、
金大中に関する資料なども
見れるようです。
私は今回行けなかった...
これは日本語のサイトです。
韓国旅行、韓国ツアー | 韓国観光公社公式サイト :韓国観光公社公式サイト
こっちは韓国語サイトです。
ではここらへんで~~
おすし。